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#しつけと教育

志望校にぜひ入学させたいのです

5歳の女の子の母親です。来年の小学校入学をひかえて、4月から進学塾に通わせています。クラスは20人ほどで、週2回。後ろに親の座席があって授業を参観し、帰宅後に出来なかったところを復習させるように言われています。子どもはいつもスピードが遅くて、もっと速くできるようにと、先生からご注意を受けています。私も家で先生の出された問題を繰り返しやらせているのですが、効果が上がりません。この性格では、大きくなってからの競争には耐えられないと思います。ぜひとも今のうちに、志望校に入れてやりたいのですが。(5歳女児の母親)


5歳のお子さんを進学塾に通わせているお母さん。

文献を読んでいたら「小児逆境体験」という言葉を見つけました。日本では「虐待」の語が使われています。

小さい子は、自分を「いい子、お利口さんな子」と思っているもの。でも、進学塾では前にこわい先生がいて、後ろにはお母さんたちが見張っている。何かやれと言われても、なかなかできない。みんなのようにはできない自分。自分はダメな子と思ってしまう。どうして、お子さんはそんな目に逢わなければならないのでしょうか。悪いことに、お家に帰れば、またそこでお母さんという怖い人がいる。昼間できなくて悲しい思いをした問題を、またやりなさいと言われる。小児逆境体験そのものかもしれませんね。

私は学生時代、「家族社会学」の授業で、「父性原理・母性原理」の語を教えられました。「切る父親・包む母親」の語も学びました。子どもがどんなことをしようと、世界中から後ろ指をさされたとしても、「でもやっぱり、あなたはいい子、私の大事な子」と言い切る人が母親というもの。包む母親とはそういうものでしょう。

ふと私の子ども時代のことを思い出しました。電車で3つ先の駅に、ある大学の附属中学校がありました。同学年から6年生の男の子が1人、女の子が2人受験しました。お受験などの言葉もなく、戦後の食うや食わずの時代でした。それでも先生は、放課後に10人近くの子どもたちを残して、面接の練習をしてくださいました。

当日、筆記試験があったかどうかは覚えていません。面接室は中学校の2階にありました。順番を待っていると、女の友だちが、「ここまでに階段が何段あったか聞かれるかもしれないよ」と言いました。心配になって、「えっ何段だったの?」と聞くと、その子は「24段よ」と教えてくれました。「24段、24段、忘れないようにしよう」と。

面接の順番が来ました。何人かの試験官の1人が、突然「ガラスの性質を述べなさい」と言われました。「えっ述べなさいって?」と内心まごついていると、他の先生が「なぜお?油は一升ビンに入っているのですか」と助け舟を出して下さいました。なんだ、そんなことか、「それは、お醤油がカビていないか見るためです」と私は答えました。(戦後間もない頃は、お醤油は一升瓶に入っていて、買ってしばらく台所に置くと、もこもこ白カビ(酵母?)が瓶の口までぎっしり生えました。24段と教えてくれた気のいい女の子は不合格で、背の小さな男の子とのっぽだった私は合格しました。でも、仲間として、合格した子がいい子だったか、そうでなかったか、今思い出してもわかりません。

たしかに、私立や国立の附属学校は、世間的には魅力的かもしれません。私の学年には、附属小学校、中学校、高校とそれぞれの時期に入学してきた仲間がいました。でも、仲間たちが卒業後それぞれどうなったか、幸せになったか、えらくなったかはわかりません。ノーベル賞を受けた科学者もいないし、名のある政治家が出たわけでもなくて、同窓会で会ってもふつうの人々です。

5歳のお子さんに、わけのわからない「問題」をやらせて、痛めつける。それがお子さんの将来を約束するかは、私にわかりません。「切る」お母さんであっていいのかどうか、それ以上のことは、誰にもわからないのではと思います。

深谷和子(東京学芸大学名誉教授 こども支援士)