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#キッズ&ヤング

同級生の男子に好きだと告白したのですが

学校は共学校ですが、ぼくの学年は男子が多いので、ぼくは男子組で理系コースです。はじめて好きになった子がクラスの子(男子)です。授業中もその子の方ばかり見ていたら、クラスのみんなに気づかれてしまいました。その好きな子からも、「なんで見てるのか」と聞かれて、「好きなんだ。つきあってほしい」といったら「バッカじゃない」と一蹴されてしまって、ショックです。担任(体育の教師)にもバレてしまって、みんなの前で「女を好きになれ」と言われ、それからみんなから、気持ち悪い者のような視線を感じ、学校も休みがちになりました。親は精神科へ連れて行くといいます。でも僕は好きになってしまったのです。(高1:つとむ)


そう、同じクラスの子が好きになったの。いいんじゃない、人を好きになることは。とても大事なことだから。人間のこころは他者との関係の中で育まれていくものだからさ。その対象が、異性であれ、同性であれ、とりあえず、人を好きになることは悪いことじゃあない。自然な感情だしね。

ところで、きみの「好き」は友だちとして彼のことが好きなのか?たぶん、そうじゃあないだろう。きみの「好き」はたぶん恋愛感情に近いものなんだろう。

「恋愛」について、三省堂書店の『新明解国語辞典』は次のように定義している。

「れんあい【恋愛】―する(自サ) 特定の相手に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。例『熱烈な―の末に結ばれた二人/―結婚・―小説・―至上主義』」

どうだい、きみの今の気持ちにぴったりな見事な定義だろう?対象は「特定の相手」だから、異性とは限らない。「他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願う」、それはとても大事な感情だと思う。

でも、その気持ちに共感したうえで、あえて言うんだけど、人を好きになるというのは大事であると同時に、かなり身勝手でやっかいな感情だということも覚えておいてほしい。

こちらがいくら相手のことが「好き」であっても、相手は同じように思わないことも多い(そういうことは、むしろ普通です)し、それどころかかえって迷惑がられることもしょっちゅうだ。

考えてごらん、今、彼のことが気になっているというきみを「あなたのことがとても好きなの……」と言ってじっと見つめ、告白してくる女子がいたら、きみはやっぱり「迷惑だな。そんな気はないよ」と思うだろう。

だからきみは考えなくちゃいけない。彼が好きだ、というきみの気持ちが本当のことだとしても、「好きなんだ。つきあってほしい」といっても、相手が受け入れてはくれないということは、ありうることだ。それはそれで相手の自由なのだ、ということを。

大人になるということは、自分の自由と同様に、相手の自由も尊重することだということなんだ。

じゃあきみはどうすべきなのか。自分の「かれのことが好き」という気持ちを否定しなくてもいいけど、それを人前で表現するのは、とりあえずやめておいた方がいい。もちろんそれは「やるせない」ことだけど、その「やるせなさ」をバネにして、かれがきみのことを一人の魅力的な人間として認めてくれるように、自分の才能(それは、サッカーがうまいとか、英語ができるとか、恐竜のことなら誰よりも詳しいとか)を磨くことにエネルギーを注いだほうがいいと思う。それが「恋愛感情を昇華させる」ということなんだ。それが「恋愛」に対する、大人的な解決法ということになるだろう。

最後にいっておくけど、ぼくが尊敬している、作家の宮澤賢治や民俗学者の折口信夫、それからフランスの哲学者のミッシェル・フーコーという人たちも、同性に恋愛感情をもっていて、それをエネルギーにしてステキな仕事をなしとげた人たちだ。

自分の感情を素直に見つめたうえで、少し大人になってほしい、好きな相手が振り向くような自分の魅力を磨いてほしい、ぼくはきみにそう言いたいんだよ。

ゆあさとしお(書評家・こども支援士)