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#キッズ&ヤング

絵を習いに行った方がいいでしょうか

図工がある日は、ゆううつです。今まで、「友だちを描く、目の前にある静物を描く、遠くの風景を描くように」などと言われました。1年生の時には「自分の一番好きな物を描いてごらん」と言われた時も、真っ白い画用紙の前で、どうしていいか困りました。工作の時間は、それでも材料が目の前にあるので何とかなるのに。

ぼくは、算数や体育はとても得意です。いつもリレーの選手で、算数のテストもたいていいつも100点です。それなのに絵は、色も、線も、てんでダメなのです。クラスで、ひどく成績の悪い子が、特に風景を描くと、ぼくよりすごくうまいのです。先生は「人には得意、苦手があるんだよ」となぐさめてくれますが、絵を習いに行った方がいいでしょうか。(小5:けんいち)


ははーん、けんいち君は「負けず嫌い」なんですね。「負けず嫌い」というと良い印象がないかもしれないですが、「向上心がある」と言いかえて考えるとトゲトゲした言葉ではなく受け取ってもらえるかな。つまり、けんいち君は、人が成長するのにとてもだいじな心をもっているということです。

そして、けんいち君には、鋭い観察力(かんさつりょく)があるようですね。「すごくうまい」と感想をもった絵は、たぶん、そこの風景と似ている、または、似せようとしている絵だったのではないかな。だから、けんいち君の観察力がしっかりとはたらいて、似ているものと似ていないものをわけて、似ている絵を「うまい」、似ていない絵を「ダメ」と決めてしまうのではないかな。

けんいち君に向上心と観察力があるということは、とてもすばらしい素質をもっているということです。そして、けんいち君が気づいた「習おうかな」という思いつきもすばらしいです。つまり向上心と観察力があるので、足りないのは練習だと気づいたのですね。

サッカーの試合を見ることが好きで、向上心があっても、実際にボールを触って練習もしない人は、いつまでもサッカーが上手にならないよね。けんいち君は、リレーの選手だということなので、走ることは上手なのでしょう。それは、けんいち君が小さいことから暮らしの中で「走る」練習をたくさんやってきたからではないでしょうか。けんいち君が気にもしていない「走る」練習は、学校の行き帰り、公園、友だちとどこかへ行くときなど、いろいろなときにやっているのです。

けんいち君は自分の絵を「てんでダメ」って自分を決めつけて、絵を描く練習などぜんぜんしない暮らしをしていないかな。絵だって同じです。実際に練習をしなければうまくなりません。

本当にやりたいのなら、絵を習うことにしても良いと思うけれど、それよりも絵の練習をやってみること、自分で練習の時間をつくることで「にがて」から「おもしろい」にかわるかもしれないよ。たとえば、好きな漫画を半紙のような薄い紙に写し描く練習や、名画と言われる絵をマネして描く練習もいいかもしれない。それとも、描く時間をたくさん作るあそびからはじめてみるのもどうかな。学校以外で絵の具を実際に出して遊んでみたことはあるかい?筆と絵の具(色)と紙を使ってたくさん描いて遊ぶことが、絵の練習になるんだよ。

それからもう一つアドバイスがあるんだ。それは「似ている」「似ていない」という2つに分けるものさしだけで、絵を描いたり見たりするのは、絵というものをうわべだけで見ていることになる。けんいち君の観察力でもっと深いところを探ってみると、もっと面白いものさしも生まれてくると思う。絵をうけとめる(たのしめる)ものさしは、もっとたくさんあるんだ。

何を描いているかすぐにわからない絵だけれど、じっと見ているといろいろ発見する絵だってある。なんか見ているとじわーっと暖かくなる感じがする色の絵もある。絵をよく見て生まれる「なんだこれ」が頭の中に生まれたら、想像を続けて、「もしかして・・・かも」って考えること(絵を見る練習)を何度もやっていると、けんいち君にとってあたらしいものさしができるかもしれない。

けんいち君、本当は、絵に「うまい」はあっても「ダメ」はないのかもしれないよ。絵をうけとめるものさしが足りないだけなんだと思う。

いつか、けんいち君が描いた絵を見せてください。もしかしたら、私のものさしを増やしてくれるような新しい絵かもしれないからね。