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#しつけと教育

ママに捨てられた子

私のクラス(1年生)には、父子家庭もあります。子ども同士の会話の中で、「○○さんは、ママに捨てられたんだよ」という声が聞こえてきました。その子は「そうだよ。僕はママにすてられたんだよ」と言いました。私は思わずその子を抱きしめて、「○○君は、愛されて生まれてきたんだよ。今も皆に愛されているんだよ」と言いました。何ともやるせない気持ちちでした。早く成長して、いつか大人(親)の事情が理解できるようになったらと思いました。様々な事情を持つ子どもたちに、今後どう接していけばいいでしょうか。(小学1年生の担任)


ひとり親家庭も増えてきたようです。父子家庭も母子家庭もそうですが、何となく父子家庭の方が侘しい感じがするのは、私の中の古いジェンダー観からでしょうか。私が学生だった昔、心理学の講義で「父性は切るもの、母性は包むもの」と教授から教わりました。包んでくれる人(母親)と一緒なら、経済的支援があれば、さほど不自由はなく成長する感じもしますけれど、でも最近では、町で男性が赤ちゃんを「だっこ紐」で胸に抱えているのを見かけるようになりました。時代の中で、父親も母親も区別なく「切る」と「包む」の2つの機能を果たす存在になったのでしょう。

でも「ママに捨てられた」とは、つらい表現ですね。周囲の子どもたちは何気なく口にしたのでしょうが、決して口に出してはならない言葉でしょう。子どもは思ったままに相手の悪口を言う生き物とは思っていても、そうした悪口はイヤですね。それを抑制できるようになるのが「成長」というものでしょうが、でも先生の、その子を思わず「抱きしめた」というお気持ちがありがたくて、胸が詰まりました。

親だけでなく、時にはそれ以上に、担任は子どもを「包む」存在なのですね。人にとって「切られる」体験も時には必要でしょうが、それはもっと子どもが成長してから、子どもの中に「跳ね返す力」を備えるようになってからの体験でいい。先生は、とりわけ低学年の先生は、日々「包む」役割を果たしておいでなのですね。親がいなくても、担任の先生は親以上の親であり、そのおかげで環境にハンデのある子も、つつがなく成長していくのでしょう。これからも、子どもたちを大きく包む「学校のお母さん」であって下さい。ありがとうございました。

深谷和子(東京学芸大学名誉教授 こども支援士)