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#キッズ&ヤング

先生、ふつうって何ですか?

ぼくは、もうすぐ中学生になります。先生が、クラスのみんなに、「自分の良いところを大事にするんだよ。」って言うので、自分の事を考えてみました。ぼくは、人よりおしゃべりだと思います。そして、クラスで一緒に活動したり、行動したりする時、先生の指示と違う事に興味があったりすると、そちらに心が向いて、違う事をしてしまいます。ぼくが、思ったことを言う、行動したりすると、友達も、先生も「ふつうにしろ」「おまえふつうじゃないよ」と言います。「ふつうって何ですか?」(小6:純〉


純君は先生のお話しの途中でも、疑問がわいたら「何でですか?」「どうしてですか?」と、今まで、質問してきたんだね。6年生の今は、我慢して、最後まで聞いて質問しようとしているのね。それでも、先生の話を聞きながら次々と聞きたいことが湧いてくるんだね。この間、中学生が、学校に来てくれて、中学の事を話してくれた時、質問の時間に一番最初に質問して「おまえ勇気あるなあ!」ってほめられたんだね。つぎの質問者は、純君に勇気をもらって質問したのじゃないかな。

日本では、アメリカやヨーロッパと違って、小、中学校の義務教育でも、高校、大学でも、ほとんどが「一斉授業」と言って、先生が前に立って、生徒は椅子に座って、向かい合って授業を受けているね。確かに先生の言うことを黙って聞くという形だと、授業はスムーズに進むね。先生が知識を子どもたちに教えるには、一番能率がいいからね。でも、それがいいとは限らないの。その形の授業で、果たして生徒や学生たちの「個性」が育つのか、疑問を持つ国々も多いんだよ。欧米、特にアメリカの小学校では、授業は「個別学習」がふつうの姿で、算数をやりたい子は、自分で算数の教科書などを取り出して、算数の勉強をして、それを先生に見せに行く。国語をしたい子は、国語の勉強をして、先生に見せに行く、そんな姿が一般的なんだよ。椅子に座らないで、床にグループを作って先生とお話ししたりする授業の光景もあったよ。ふつうでないことが、時にはその人の「個性」であったり。「ふつう、ふつう」と強調しすぎることが、時にはよくないこともあるの。

私が子どもの頃、歌ってた童謡に、「雀の学校」というのと「めだかの学校」という歌があったんだけど、純君知っているかな?。

「雀の学校」は、先生が鞭を振りながら教えていて、上から教えられている雀の子たちがいるね。

「めだかの学校」は、誰が先生で誰が生徒かわからない感じで、友だちどうし、教えたり教えられたり。

先生だって子どもから教わることが一杯あるんだから。私は「めだかの学校」の方が好き。純君はどうですか?

淳君には、今、ふつうから外れた「困った部分」と、ふつうではないけれど、「大事にしたい部分」とがあるんだと思うの。そのうち「大事にしたい部分」が淳君らしさになっていくかもしれないね。

川崎佳子(こども支援士)